東南アジアの大事な仏教行事「入安居・カオパンサー」

ラオス旅行・生活

先日、7月16日に、ラオスを始めとした東南アジアの仏教国では、「入安居(いりあんご)・カオパンサー」と呼ばれる行事がありました。

(記事をあげるまでに、だいぶ間が空いてしまいましたが…)

 

昨年の10月に「出安居(であんご)・オークパンサー」についての記事を書いたのですが。
この7月の「入安居・カオパンサー」が、その対となる行事です。

 

オークパンサーの記事では、宗教行事がイベント化している、というようなことを書いたのですが。
今回の「カオパンサー」に参加して、また違った面を垣間見たので、今日はそのことについて。

 

そもそも、「雨安居・パンサー」って何?

オークパンサーなどのイベントは、タイ等を旅行したことのある人なら、耳にしたことがあるかもしれません。
でも、そもそも「雨安居(うあんご)」がどういう意味なのかは、ちゃんと知らなかったりしますよね。

 

実は私自身、ラオスに住むようになって10年目にして、初めてちゃんと「入安居・カオパンサー」の行事に参加しました。
それで、ちょっと意識してカオパンサーに関する記事を読んでみました。

 

Lao Economic Dailyの記事「どうして入安居の祭と呼ばれるのか(原題:ແນວໃດຈິ່ງເອີ້ນວ່າເຂົ້າພັນສາ)」によると、入安居には次のような意味があるそうです。

 

入安居は古くから行われてきた仏教行事で、元々は、「雨安居・パンサー」に入る僧のために、布やろうそくを持って喜捨をする日だった。

雨安居は、仏の次のような教えに基づいている。

″雨期は、村の人々が田畑を耕す時期である。
その時に僧が出歩くと、作物の実りを妨げるかもしれない。
だから、僧は雨期の3か月の間お寺にこもり、出歩いてはいけない″

この僧が寺にこもる時期を、入安居:カオパンサーあるいはチャムパンサーと呼ぶ。

―引用元:Lao Ecocomic Daily(2019/7/15)(筆者訳)

 

「入安居・カオパンサー」は、普通、7月の満月の日に行われます。

 

この日を過ぎると、10月の「出安居・オークパンサー」の日まで、一般の人々も結婚式などのお祝い事は控え、畑仕事等に専念します。

真面目に仏教の教えに従っている人は、この期間は禁酒して一滴もお酒を飲みません。

 

朝はお寺へ喜捨に

入安居の日には、朝早くから近所のお寺へ喜捨へ行きます。

 

こうした行事に熱心な家では、前日から、そのためのお菓子「カオトム」をたくさん作って用意します。

 

カオトムとは、もち米とバナナなどを、甘いココナッツミルクであえて、バナナの葉で包んで蒸したお菓子です。

 

カオトムの他、もち米、小袋のお菓子やお金などを、喜捨のための入れ物「カン(足があるもの)」または「オー(足がないもの)」に入れます。

 

そして、女性ならばシン(ラオスの巻きスカート)にパービアン(肩にかける布)、男性は長ズボンにパービアンを身につけた簡易正装で、朝6~7時ごろお寺に向かいます。

 

その日は、多くの人が喜捨に訪れるため、お寺には托鉢用の鉢が並べられた場所が用意されており、みんなはそこに並んで、用意したもち米やカオトム、お金などを、少しずつ入れていきます。

 

ちょっと機械的すぎて、あんまり情緒はない。

(普段の喜捨なら、鉢をたずさえたお坊さんが村の中を回ってきて、その鉢の中に入れます)

 

喜捨の後、余ったもち米はお寺の各所にいるナーガの口に入れます。

写真を撮り忘れたのですが、いろんな人からご飯を口に突っ込まれたナーガは、若干苦しそう。

口いっぱい頬張って、しゃべれない人みたいになってました。

 

その後、植木の根本などで、もち米を小さく丸めたものを3つ並べ、ろうそくに火をつけ、地面に水をそっと注ぎながら健康や繁栄を祈る、「ヤート・ナム」をします。

 

それで終わり。

 

お寺の中はちょっとしたお祭りのようで、お供えの花などの他、食べ物や飲み物の屋台も出ていました。

 

夜は、ろうそくを持ってお寺の周りを歩く「ビエンティアン」

カオパンサーの日の夜にお寺に行くと、オレンジ色の電球に彩られた屋台が立ち並び、老若男女、多くの人が集まっています。

その大部分は、そのお寺がある村の住民たち。

(ラオスには各村にひとつずつ、お寺があります)

みな、手に手にろうそくと花をたずさえています。

 

 

8時過ぎくらいになると、小坊主さんがお寺の鐘を鳴らし、お坊さんたちが読経を始めます。
そして、お坊さんたちがろうそくをもって、お寺の敷地をゆっくり回りだします。

その後を、ろうそくとお花を持った村の人たちが、ゆっくりとついて歩きます。
そして、3周したら、仏舎利塔の周りに、ろうそくとお花を供えます。

 

 

暗がりの中、たくさんのろうそくの明かりがゆっくりとお寺を巡る光景には、ちょっと厳かな気持ちになりました。

 

一緒に行ったラオス人は、今日はちゃんとお寺に行って、徳を積んで、心穏やかな気持ちだといいます。

 

なるほど、多くの若い人にとっては、こうした行事はただのイベントですが、真面目な信仰心を持ってこうした行事に向かい合う人も、まだまだいるんですね。

 

お寺が、行き場のない子のたまり場

こうした機会にお寺に行くと、夜に屋台が出ているせいもあって、多くの子供がお寺に集まっていました。
家族で来ている子、友達で連れ立って屋台の風船割りや射的に興じる子。

 

中には一人で、または数人で、隅の暗がりで座ってしゃべったり、爆竹をならして遊んだりする、ちょっとやさぐれた感じの子もいます。

けっこう荒っぽい感じですが、周りの大人は特に何も言わない。
あんまり度が過ぎると、お坊さんに注意されていましたが。

 

聞いてみると、事情があって家にいたくない子は、よくこんな風にお寺にたまっているんだそうです。

 

日本だと公園とかコンビニの前にヤンキーがたむろしていますが。

ラオスだとそれがお寺なんですね。

 

なんだかちょっと変な気もしますが、お寺の中は夜でも比較的安全ですし、お坊さんたちも、そういう子らをつかず離れず見守る感じなんでしょうね。

 

宗教行事とお寺の大切さ

オークパンサーに参加することで、改めて、こうした行事やお寺がまだまだラオスでは、重要な意味を持っているのを垣間見た気がしました。

 

オークパンサーに限らず、ラオスでは月ごとに、何かしらの仏教行事が行われています。

たまたまその日に居合わせた人は、誰でも参加できるので、遠慮せずお寺をのぞいて見てほしいと思います。

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