ラオス農村での知的障がい者の暮らし

人々の暮らし

こんにちは。ラオスの農村に3年住んでいたちこです。

 

今日は、私がラオスの農村で暮らしていたときに出会った、知的障がいのある人の、村での暮らしについて書きたいと思います。

 

私自身、この分野に明るいわけではなく、もしかしたら誤解していること、あるいは誤解を生むような表現があったら、申し訳ありません。

 

 

でも、それでも書きたいと思ったのは、私自身が、ラオスの農村社会のあり方に、ある種の衝撃を受けたからです。

 

 

それは、簡単に表すならば、

障がい者に対するあからさまな「差別」がある一方で、「排除」はしない村社会の寛容さと柔軟さ

とでも言いましょうか。

 

 

私はうまく語る言葉をもたないので、具体的な事例を紹介していきたいと思います。

 

ラオス農村の雰囲気

ラオスの農村部では、村人の大半が農業で生計を立てています。

 

特に、山岳部では、市場や商店も限られており、金銭的な余裕もないため、普段口にする食材も、自分たちで育てたものや、森や川から狩猟・採集でとってきたものが大半を占め、半自給自足のような生活を送っています。

 

村人同士のコミュニティのあり方も、昔の日本にも通ずるような、いわゆる「村社会」です。

濃い親戚づきあい、狭い村社会の中でのしがらみ、何かあったときに互いを助ける仕組み……。

 

ラオスは国からの保障システムがほとんど確立されていないため、何か問題があったときは、家族、親戚や村の人との関係だけが頼りです。

 

知的障がいのある人の暮らし

こうした農村には、一定の割合で、先天的・後天的に知的障がいをもっている人もいます。

 

日本では、障がいのある方には、家族やケアする人がついたり、専門の施設に通ったり住んだりしている場合が多い印象です。

 

でもラオスの農村では、障がいのある人も、なんというか、「普通に」暮らしています。

農作業というのは比較的単純作業ですので、知的障がいのある人も、ほとんどの場合は、他の人と同じように働いています。

 

 

村の人は、彼らのことを「コン・チャー(馬鹿な人)」とあからさまに差別的な表現で呼びます。

(本人に呼びかけるときは、ちゃんと名前を呼びますが)

 

 

障がいのある人は、親兄弟とともに住んでいる人がほとんどです。

ときには虐待的な扱いをされることもありますが、私が知る限り、多くの場合は、最低限の衣食住の面倒は見てもらい、家や畑の仕事をして暮らしていきます。

 

 

でも、ときには身寄りのない方もいます。

そうした人はどうやって暮らしているのでしょうか?

 

 

この疑問に対する、ひとつの答えを目にしたとき、私は正直に言って、かなり驚きました。

 

身寄りのいない、Oさんの話

Oさんという男性は、当時おそらく20代くらいだったと思います。

生まれつき知的障がいがあり、人の言っている簡単な言葉はおおむね理解できるものの、自分で筋道だった会話をすることは難しく、よく一人でずうっと、聞き取りづらい言葉をしゃべり続けているような人でした。

 

彼には身寄りがなく、様々な人の家を転々として暮らしていました。

 

 

そう聞くと、面倒を見てくれる人の間でたらい回しにされているような印象ですよね?

 

でも、そうではありません。
彼は、自分の意志で住む家を選び、そこへ当たり前のように、居候していたのです。
世話になる代わりに、家事や畑仕事を手伝っていました。

 

 

あるときも、彼が住む家を変えたのに気づきました。

 

私は、その新しい家のお母さんとはわりと親しくしていたので、そのことについて、聞いてみました。
すると彼女は、Oさんが一緒に暮らすようになったときの状況について、こんな風に説明してくれました。

 

「ある朝起きたらね、Oが家の台所に座っていて、米を炊いていたんよ。
それで、ああ、この子は今日からうちに住むんだなって」

 

 

彼女の言葉は、私にとって、けっこうな衝撃でした。

 

彼のような人がやってきたときは、追い出さずに受け入れようという風な、暗黙の了解が村の中にあったのでしょう。

 

でも、ある朝突然、自分ちの台所に座っていたOさんを、さらりと受け入れるその寛容さと柔軟さは、私には想像もつかないものでした。

 

馬鹿だけど馬鹿じゃない

Oさんについて、こんな話もあります。

 

以前Oさんが長く住んでいた家のお姉さんが、彼についてこんな風に言いました。

 

「Oはね、馬鹿だけど馬鹿じゃないよ。

どのうちを選べば快適に暮らしていけるか、よくわかっている。

 

家の人に疎ましく思われているとか、すぐわかって、気持ちよくないから家を変える。
無理やりこき使おうとする家からも逃げる。

 

それに、今度あいつがひとりでぶつぶつ言ってるの、聞いてみな。
いろんな家の人の、隠しごとや不満を暴露してたりするから(笑)

 

あいつ、会話にならないだけで、自分の周りのこと、実はよく見ているよ」

 

 

彼女は、Oさんをちょっと馬鹿にしつつも、彼をひとりの人間として観察し、彼がどれほど周りのことを理解しているか、ちゃんとわかっていたのでした。

 

「差別」はしても「排除」はしない

私は、こうした人々のあり方をみたとき、彼らは、障がいのある人のことを、「差別」はしつつも、けっして社会から「排除」はしないのだと、感じました。

 

彼らには、障がいに対する知識なんてまったくありません。
特別な気遣いもしません。

 

「言葉を解するが難しく、他の人のようには複雑なことを理解できない、『馬鹿な人』」

そういう人として扱いつつも、彼らなりに共に生きている。

 

そんな風に思えたのです。

 

コメント

  1. 梅雨晴れ より:

    深い話を聞かせていただきました
    そういう意味で言うと日本人は「馬鹿じゃないけど 馬鹿だよね」

    ブログ主様は現在はラオスを離れておられるのですか
    またお話楽しみにしてます

    • Chiko Chiko より:

      コメントありがとうございます。
      ラオスのような途上国に住んでいると、日本人はときに細かすぎる・過敏すぎることで、物事を複雑にしている面もあるのかな、と思ったりします。

      私は、現在もラオスに住んでいますが、農村の生活からは離れました。
      これからも、できるだけおもしろいお話を提供できるようがんばります。