日本の伝統的な衣服、といってまず浮かぶのは、やっぱり着物ですよね。
私自身も、十年以上前の成人式での振袖をはじめ、今までに何度も着たことはあるものの、自分で着付けはできません。
めったに着ない。
自分では着かたがわからない。
そういう人、多いんじゃないかと思います。
着物が多くの人にとって、「特別な」「非日常」になってから、久しい日本。
それに対して、ラオスの伝統服、巻きスカート「シン」は、今でも日常的に着られています。
でもそれもいつかは、日本の着物のように、「非日常のもの」になってしまう日がくるのでしょうか。
そんなことを想像させるようなできごとがありました。
↓↓シンについて詳しく知りたい方はこちらをどうぞ
結婚式にワンピースを着ていく!?
先日、アパートのお隣さんとご飯を食べていたときのこと。
お隣さんたちが、近く知り合いの結婚式があるという話題を始めました。
すると、そのおうちの女の子が言いました。
「結婚式に来ていく服、シンじゃなくって、ワンピースがいいんだけど」
シンとは、ラオスの女性がはく伝統的な巻スカートのことです。
学校の制服も。
職場でも。
お寺に行くときでも。
「きちんとした格好」として、女性は必ずこのスカートを身につけます。
また、結婚式のときには、シンと合わせてシルクの服を着るのが正装です。
(男性も、正装はシルクの伝統服)
「シンじゃなくって、ワンピースがいい」
その発言に対し、周りにいた30前後くらいのラオス人たちは、口々に彼女をたしなめました。
「ラオスの正装はシンなんだから」
「結婚式には、シルクの服とシンじゃなきゃおかしい」
「恥ずかしい思いするよ」
それでも女の子は納得していない風で、
「でも、ミニじゃなくって膝下丈だしいいじゃん」
「服だけでも20万kip(約3000円)くらいはするし…、シンもそろえなきゃだし…」
(*月収が2~3万円程度の人も多いラオスで、3000円はそこそこ高級です)
となおも反論していましたが、周りの大人は断固として「シンじゃなきゃ」と言っていました。
これを傍で眺めながら、思いました。
「日本の結婚式で、着物ではなくドレスを着ていくようになったのは、いつからなんだろう?」
「ラオスでもいつかは、シンが日常的な服じゃなくなる日がくるのだろうか?」
昔は日本も、着物が当たり前だったんだよね?
昔の写真を見れば、日常的に、みんな当たり前に着物を着ていますよね。
洋装が日本に入ってきたのは、きっと明治以降なんでしょう。
でもじゃあ、結婚式のような改まった場でさえ洋装が一般的になったのは、いつ頃なんだろう?
そう思って、まずは、私の親世代のころはどうだったのかと、母(60過ぎ)に話を聞いてみました。
その時のやりとり。
ちこ「ちょっと質問。お母さんが若い頃、結婚式に招待されたときはドレスだった? 着物の人も多かった?」
母「振袖もドレスも着たよ。簡単なドレスの人も結構いた」
ちこ「そうなんだ。ちなみにおばあちゃんの世代でもドレスって着たのかな?」
母「そもそも親族以外の友達を大勢呼んだのか…。案外普通の着物とかワンピースだったのかも。花嫁のウェディングドレスはおばあちゃんの時代でもあった」
そっか、今みたいなホテルで披露宴、みたいなの自体、昔はやってなかったのかもしれないよ
ね。
でも、祖母世代でもウェディングドレスはあったんやな……。
それで、洋服がいつから定着したのかって話をふると、
母「明治時代の文明開化で、一気に洋装になったんだろうね。皇室の正装に洋装もあるしね」
皇室の正装……そっか、言われればそうだ!!
調べてみると、もちろん場面によって儀式用の衣装などいろいろあるようですが、「御洋装」といって、正装としての洋服、礼服もあるみたいですね。
母「でも西洋のドレスコードの格が何であれ、和服あれば間違いないのは確か」
そうですよね。
和服が「きちんとした格好」であることに、変わりはないですよね。
なぜだかほっとする私。
日本人の服装の変遷は?
このあたりの歴史的経緯をもう少し詳しく知りたいと思い、Wikipediaさんに聞いてみました。
「洋服」の解説の中に、「日本における洋服」という項目がありました。
いわく。
16世紀、ポルトガルやスペインからキリスト教宣教師等が日本に渡来すると、日本でも西洋風の服飾(南蛮服)が見られるようになった。
江戸時代、日本は鎖国政策を敷いたため、基本的には人々が西洋風の衣服を目にすることはなかった
おお、洋服が最初に入ってきたのは、思ったよりも早い時期なんだ。
でも確かに、江戸時代はみんな着物を着ているイメージですよね。
1858年の日米修好通商条約により各地の港が開かれると、役人や通訳などの直接外国人と交渉をする立場の人間を中心として、洋服を着用するものが現われた。
さらに、洋服が大量生産された一番最初は、「西洋式の軍服」だという説明が続きます。
一般の人というよりは、直接外国人と関わりのある、政府や軍関係の人から洋服を取り入れていったんですね。
そして、明治時代に入ると、政府はさらに積極的に洋服着用を推進し、まずは男性から、洋装が一般的に広まっていったそうです。
それでも、大正時代ごろは、まだ和服も日常的に着られていたようです。
洋服はむしろ、「正装」として扱われていたみたいですね。
ちなみに女性の場合は、「舞踏会」などでドレスが着られだしたのが最初だそうで。
1923年の関東大震災では、身体の動作を妨げる構造である和服を着用していた女性の被害が多かったことから、翌1924年に「東京婦人子供服組合」が発足し、女性の服装の西洋化を目指す運動が盛んになった。
とのことで、和服が「動きにくい」ために、洋装化が進んだ面もあるようです。
それでも、戦中までは、和服やそれを作りかえた「もんぺ」がずっと日常的な服装だったみたいですね。
敗戦後はアメリカなど連合国からの援助に頼ることになった。食料などと同様、衣料品も不足し、GHQの放出衣料(古着)を通して、洋服が流通し、「占領軍ファッション」として流行した。昭和博物館は昭和期の最大の事件は、日本人の洋装化であると述べている。
ということで、日本で本当に洋装化が進んだのは、昭和に入ってからのことなんですね。
ラオスでもシンはいつか、非日常になるのか
ひるがえって、ラオス。
職場や学校ではシンを、という決まりがあるので、街中でも日常的にシンをはいている女性が見られます。
でも、普段着としてもシンを身につける人は、都市部では本当に少なくなりました。
みんな、ズボンかスカートです。
日本となんら変わりません。
日本との違いは、「日常着」として洋服が入ってきて、「正装」としてはやっぱり伝統服が根強い、というところでしょうか。
その辺は、時代の違いもあるんでしょうね。
何にせよ、伝統衣装がだんだんと着られなくなっていく理由には、「きちんとしすぎ」で「動きにくい」、それに対し洋装が「楽で機能的」だし「しゃれている」ということがあるのでしょう。
ラオスのシンは着物に比べると、断然着るのは簡単です。
ただ巻いて、腰のところでホックでとめるだけなので。
それでも、日常的に着る人が減っているのは、
外のもの、新しいもののほうがよく見える。
より機能的なものが自然と受け入れられる。
ということなんでしょう。
いつか、ラオスの結婚式でも、ドレスやワンピースもありになる日が来るのでしょうか。
それは近い将来かもしれないし、十数年後、あるいは数十年後になるのかもしれませんけれど。
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